田中一村ホームページ
田中一村年譜

右上のバナー広告は「オリンパス梶vです。掲載理由は、創業者が奄美大島出身者であることと、田中一村さんが愛用した二眼レフカメラがオリンパス製品だったということで掲載しています。

オリンパスのカメラ

 

田中一村年譜

1908年 (明治41年)
7月22日

栃木県下都賀郡栃木町に生まれる。6人兄弟の長男。本名は孝。
父・彌吉は彫刻家。
1921年 (大正10年) 東京・芝の芝中学校に入学。南画(p1317より抜粋)を制作。
1925年 (大正14年) 美術界が注目。田中米邨(たなかべいそん)にの名で「全国美術家名鑑」(大正15年版)掲載される。
1926年 (大正15年)
4月
4月 東京美術学校(現・東京芸大)日本画科に入学。同期に東山新吉(後の東山魁夷)や橋本明治 、加藤栄三、山田申吾ら。6月、退学。
12月東京京橋で「田中米邨画伯賛奨会」。
1938年 (昭和13年) 千葉市千葉寺に移り住む。祖母、姉、妹の4人暮らし。
1943年 (昭和18年) 体調を崩し、約2年間闘病生活。
1947年 (昭和22年) 画号を「田中一村」に改める。第19回青龍展で「白い花」入選。
1948年 (昭和23年) 第20回青龍展に「秋晴れ」と「波」を出品。
「波」は入選、「秋晴れ」は落選。
1955年 (昭和30年) 四国・九州にスケッチ旅行。
1958年 (昭和33年)
12月
名瀬市柳町の梅乃屋に下宿。翌年、同市有屋の奄美和光園の官舎(小笠原医師との関係の説明)に住む。
1960年 (昭和35年) 千葉に一時戻る。
1961年 (昭和36年) 名瀬市有屋の借家に住む。
1962年 (昭和37年) 同市大熊の紬工場で染色工として働く。
1967年 (昭和42年) 紬工場を辞め、絵を描くことに没頭。
1970年 (昭和45年) 再び紬工場で働く。
1972年 (昭和47年) 紬工場を辞め、絵を描く。めまい、腰痛など体調崩す。
1976年 (昭和51年) 軽い脳溢血(のういっけつ)で倒れる。
1977年
(昭和52年)
名瀬市有屋(なぜしありや)の借家で夕食の準備中に倒れ、心不全で死去。享年69歳。栃木市旭町22-27「満福寺」に葬られる。
1979年 (昭和54年) 名瀬市中央公民館で「田中一村画伯遺作展」開催。


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